暮らしのなかの健康法万般。赤ちゃんからお年寄りまでの病気の解説・予防・治療法。食生活、食品、サプリメント情報…など、面白くてタメになる実用エッセイ。

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2016年3月

耳あかとわきがと薬の関係

耳あかもわきがも遺伝

文筆家の七つ道具の一つに「耳かき」を挙げたのは、故吉行淳之介氏だ。

頭の中で思考が足踏みしたり、ぐるぐる回りして、さっぱり前へ進まないようなときには、耳あかの掃除のような小さな手動作が、セルモーターの役目をすることがあると、なにかに書いていられた。

耳あかは、外耳道の皮膚の表皮がはがれたものや、耳垢(じこう)腺や汗腺の分泌物、ほこりなどが混じってできる。

乾燥した耳あか(乾型耳垢)と湿った耳あか(湿型耳垢)がある。

日本人の約8割は乾型だが、白人や黒人はほとんど湿型である。

乾型か湿型かは、同じ遺伝子のたった一つの塩基変化によって決定することを、2005年、長崎大学の研究チーム(医歯薬学総合研究科・新川詔夫教授)が世界で初めて突き止めた。

日本人の湿型は「縄文系」、乾型は大陸から渡来した「弥生系」と考えられるという。

湿型(ねっとり耳あか)は腋臭症(わきが)を合併する。

それについて、その一人である自分の体験を旧著(『専門医が教える 自分で治せる半病気』=1983年刊)に記したことがある。下はその冒頭の一節。

 むかし、あちこちスベったりコロんだりしたあげく、どうにか大学なるモノにもぐり込むことができて、九州のはじっこの島から上京したときの話―。

 途中、中国地方のある都市で鈍行列車を下りて、伯母(父親の姉)の家に一晩泊めてもらい、さて翌朝、出立まぎわのことだ。

 伯母がおれに小さな茶色の瓶をくれて、こういった。

「これでときどき腋の下を拭きンさい。わきがは遺伝やけェ、しかたがないけぇのう」

 このとき、伯母のこのことばによって、おれは自分の体臭が相当強烈なものであるらしいことと、世の中にはバカにつけるクスリはないが、わきがにつける薬はあるということの、二つの事実を知ったのである。─以下略。

長崎大グループの研究によると、耳垢型を決定する遺伝子は、薬剤耐性の遺伝子ABCC11と同じものである。

その「ABCC11遺伝子たんぱく質」が、どのような薬剤の代謝にかかわるのか、湿型耳垢と乾型耳垢とではどう異なるのか―がわかると、その薬剤に対する感受性の相違(早くいえば薬の効き目のちがい)を、薬をつかう前に知ることができる。個人化医療の実現が可能になるわけだ。

また、自分の話になるが、16年前に前立腺がんが発覚したとき、予後はあまりよくないといわれた。

なのに、よい医師に出会えて、薬がじつによく効いて、まだ普通に元気に生きていられる。

この薬との相性のよさに、もしかしたら、このネトネト耳あか体質も関係しているのかもしれない。

ネトネト耳あかの耳掃除には耳かきよりも綿棒が、カサカサ耳あかには耳かきのほうが適している。

だが耳の穴がかゆいときにかくのは(えもいわれぬ快感!)、耳かきに限る。

マッチ棒やヘアピンを用いるのはやめたほうがよい。きめが細かく感じやすい皮膚を傷つけて外耳道炎を起こすことがある。

耳あかがたまり過ぎて固まると、耳が詰まって聴こえが悪くなる。

ちゃんと病名がついていて、耳垢症とか耳垢栓塞というそうだ。

耳鼻科を訪ねると、耳垢水(グリセリンと重曹の混合液)をたらして、取り出してくれる。スコーンとして気持ちいいものらしい。


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わたしも忘れない

忘れないために旧稿を再録させてもらいます。

 平成養生訓29    

 心の絆、それは家族です

2011年3月11日。

私たちの国、日本が瞬時にして一変したあの日の昼過ぎ─。

私は、小さい仕事をひとつ仕上げて、仕事部屋を出て、居間のこたつに脚を入れて、体を横たえたところでした。

と、不意に床下から突き上げられるような振動が体に伝わり、地震だ! あわてて上体を起こすのと同時に、家がゆらりと揺れました。

ゆら~り、ゆら~り、ブランコのように家が揺れ続けます。

ずいぶん長い大きな揺れだなあ...、これは近いぞ、ついに関東大震災の再来か。

そう思いながらテレビをつけたら、

「東北地方に地震...」と、テロップが流れています。

東北なのに、なぜ東京もこんなに揺れるのだ? 

いぶかしむ間もなく、またも、ゆら~り、ゆら~り...が始まりました。

 ........................ 

昼下がりのドラマを放映していたテレビの画面が切り替わり、信じ難い異様な光景が映し出されました。

海が、凶暴な意思をもつ生きもののように陸地へ向かって動いてきます。

黒い巨大な水のうねりが有無を言わさぬ勢いで、船を転覆させ、車をのみ込み、家を押し流していく...。

ぼうぜんと見ているうちになにか息苦しく奇妙な痛みが胸中にあふれるようでした。

 ........................

CMの消えたテレビは、どのチャンネルも連日、おびただしい死と絶望の様相を映し続けました。

家を失い、家族が散り散りになり、廃虚の中に孤立し、寒さと空腹に耐えている人たち、不眠不休で救助に当たっている人たち...。

そんな人たちの心に届くどのような言葉があるだろう。

そう思うと、つくづく自分の言葉の軽さ、薄さがむなしく、ぼんやり虚脱してしまうようでした。

 ........................

そんなとき、ふと、幕末の歌人、橘 曙覧の歌集『独楽吟(どくらくぎん)』中の一首が、頭に浮かびました。


たのしみは 家内五人(やうちいつたり) 五(いつ)たりが 風だにひかで ありあへる時


注釈は不要でしょうが、「自分と妻と三人の子─家族五人が、風邪ひとつひかず、元気でいられることほど、ありがたく、たのしいことはない」というのです。

貧しい文人の暮らしながら─それゆえにこそ─むつみ合う家族の情景や日々の小さな喜びを詠んだ『独楽吟』には、人生の幸せとは何かを教えてくれる、心にしみる歌が52首、並んでいます。


たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどひ 頭(かしら)ならべて 物をくふ時


たのしみは まれに魚(うお)煮て 児等皆(こらみな)が うましうましと いひて食ふ時


たのしみは 三人(みたり)の児ども すくすくと 大きくなれる 姿みる時


ああ、ほんとうにそうだと思います。

そこに歌われているのは、人として最も大切なもの、幸福というものの原点で、つまりそれは家族の絆にほかなりません。

そのかけがえのない絆を失った多くの人びとを支えるもの、元気づけるもの、再生の意欲をもたらすもの、それもまた、人びとの心の絆にほかならないと思うのです。

テレビの画面に現れる訴え「つながろう日本! 絆」を見るたびに、人が生きていくうえで最も大切なもの、それが「絆」であると、強く教えられました。

ギリシャ神話の「パンドラの函」の底に一つだけ残った「希望」のように、いま日本人の心をつなぐひとつの言葉が「絆」なのだと、胸底に刻みつけました。

そして、ある日の新聞で感動的な詩に出会いました。

『言葉』と題された谷川俊太郎さんの詩です。

一部を引用させてもらいます。


何もかも失って

言葉まで失ったが

言葉は壊れなかった

流されなかった

ひとりひとりの心の底で

言葉は発芽する

瓦礫(がれき)の下の大地から

──略──

言い古された言葉が

苦しみゆえに甦(よみがえ)る

哀しみゆえに深まる

   *

言葉の無力さを思い知らされたあと、私は、ふたたび言葉の力を知ることができました。

じつは大震災に関連して、私の身上にもひとつの変事が生じ、あれこれ思い悩むことがあったのですが、いまは一歩、一歩、前へ歩いていこう。

そう強く思い決めています。

いつもとは異質の「養生訓」になりました。おゆるしください。

(株)心美寿有夢のPR誌『絆』31号=2011年7月発行=より再録>


東日本大震災の都道府県別死者・行方不明者数

直接死 1万5894人

北海道 1人

青森県 3人

岩手県 4673人

宮城県 9541人

山形県 2人

福島県 1613人

茨城県 24人

栃木県 4人

群馬県 1人

千葉県 21人

東京都 7人

神奈川県 4人

震災関連死 3407人

岩手県 455人

宮城県 918人

山形県 2人

福島県 1979人

茨城県 41人

千葉県 4人

東京都 1人

神奈川県 3人

長野県 3人

直接死+震災関連死=1万9301人


行方不明者 2562人

青森県 1人

岩手県 1124人

宮城県 1237人

福島県 197人

栃木県 1人

千葉県 2人

身元がわからない遺体

岩手県 59体

宮城県 16体


避難者 22万5460人

仮設住宅入居者 5万7677人

死者・行方不明者(3月10日現在)は警察庁、震災関連死(2015年9月末現在)、避難者(2月12日現在)は復興庁、仮設住宅(2月末現在)全国人数は岩手・宮城・福島3県の合計。

─2016年3月11日 毎日新聞朝刊と、別刷り版「東日本大震災5年 あの時、そして今」による。


むらぎも            本田一弘


3・11(さんてんいちいち)と言はないみちのくに三月十一日(さんがつじふいぢにち)の雪(ゆき)降る


もう五年いやまだ五年 五年といふ時間の重き雪が積もりぬ


直接死一六○四、関連死二○二四、死者の群肝(むらぎも)


みちのく           照井 翠


春の底磔(はりつけ)のまま漂流す


流されて流れ着かざる春の海


大切のしら骨のもう海のもの


三・一一みちのく今も穢土(えど)辺土


─「5年の思い」=2016年3月8日 朝日新聞(夕刊)より─



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