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おれのがん

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「これ、肥大じゃないな。がんですよ」と、シャウカステンのX線写真を見て、医師。

 おれの10年余にわたる前立腺がんとの深い親しいつき合いは、この一言から始まった。

 1999年10月25日、前立腺肥大症の温熱療法を受けるための事前検査の結果を聞きに行ったときのことだ。

 男性の膀胱の出口のところにある前立腺は、精液(の一部)をつくる器官だが、50代も半ばを過ぎると、それがだんだん大きくなって、尿道を圧迫する。

 ために、尿が出にくく、トイレが近くなる。

 おれの場合もまず尿線が細くなり、睡眠の持続時間が短くなった。

 夜12時ごろ寝床に入ると、夜明けの4時か5時には必ずおしっこに起こされてしまうのだ。

 しかし、そんなものはまだほんの序の口だった。

 やがて最低2度、しばしば3度(約2時間おきに)、起きなければならないようになった。

 それもなかなかつらかったが、なんといっても、切なくつらい思いをさせられたのは、尿意を感じたとたん、たちまち漏れそうになる、切迫尿意だった。

 ある夜、池袋で一杯やって、山手線の内回り電車に乗り、次の目白駅を発車したとたん尿意が生じた。

 と、次の瞬間、あわや失禁しそうになったから大いにあわてた。

 いまパソコンの「駅すぱあと」で確かめたら目白─高田馬場間は「2分」だが、あの2分間の苦しさといったらなかった。

 高田馬場駅で電車が停まって、ドアが開くなり飛び出したのだが、トイレへの階段を駆け降りる途中、ついに生温かい液体が股の内側をしたたり落ちた。

 いや、その情けなさ!

 いまも忘れることができない。

「もっと早く受診すべきだった」と、ほぞをかんだ。

 前立腺肥大症の治療には、

 ①尿路の神経の緊張を緩めて尿の出をよくする飲み薬、

 ②肥大した腺腫を電磁波で加熱し縮小させる温熱療法、

 ③先端に電気メスのついた内視鏡で腺腫を削り取る経尿道的前立腺切除術(TURP)などがある。

 失禁を招くまで放っておいた、わが前立腺肥大症(と、独り決めしていた)は、すでに薬が効くレベルは超えてしまっただろう。

 最終的には手術ということになるのかもしれないが、とりあえずは日帰りの温熱療法を受けてみよう。

 そう思って、温熱療法専門のクリニックを訪ねて、超音波やX線CTなどを含む事前の検査を受けたところ、思いもしなかった、がんが見つかったというわけだ。

「PSAはいくつですか?」とたずねたら、

「241です」

 これには本当におどろいた。

 思わず、「それじゃナベツネどころの話じゃないですね」と口走っていた。

 PSA(前立腺特異抗原)は、前立腺にだけある糖たんぱくで、がんになると血液中にふえる。

 90%以上の確率で前立腺がんを発見できるので「血液検査でわかるがんは、白血病と前立腺がんだけ」といわれる。

 天皇陛下の前立腺がん診断のきっかけとなったのも、毎年受けておられたPSA検査だった。

 PSAの正常値は血液1ミリリットル中4ナノグラム以下、

 4.1~10は「がんを疑うグレーゾーン」、

 10.1~20は「がんの疑い」、

 20以上は「がんの疑い濃厚」とされる。

 渡辺恒雄・読売新聞会長の前立腺がんが見つかったときのPSA値が14.4で、ホルモン療法によって0.1まで下がった。

「このまま手術をしなくても2年から5年は心配ないが、そのあと、ホルモン療法が効かない低分化がんが発生する可能性が残る。

 これを未然に防ぐため前立腺を全摘する根治手術を受ける」と、記者会見して公表したのが1998年1月のことだった。

 PSA値281と聞いて仰天し、「ナベツネどころの......」と口走ったのは、そのことが頭にあったからだ。

 もはや日帰りの温熱療法どころじゃない。

 大学病院の泌尿器科を受診、そこでの精密検査で、おれの前立腺がんは、低分化型という悪性度の高いタイプで、前立腺の被膜に浸潤した段階(まだ骨などへの転移は認められない)のステージCと診断された。

 がんが、前立腺内に限局しているステージAとBならば根治手術、リンパ節や骨などに転移しているステージDだともう根治は望めないので、がんの増殖を抑えるホルモン療法が主体になる。

 では、ステージCは?

「ステージCに対する治療法の選択がいちばん難しい。根治手術の成績があまりよくないのです」というのが、主治医のH先生の説明で、当面、LH─RHアゴニストという注射薬を主剤とするホルモン療法が行われることになった。

 ホルモン療法と聞いて、ホルモンを補充する治療法かと思ったのだが、そうではなく、ホルモンの分泌を抑えるのである。

 先生の説明を要約すると─、

 前立腺がんは、男性ホルモンのテストステロンの作用で増殖する。

 この男性ホルモン依存性を遮断するのが、前立腺がんの進行を抑える最も効果的な治療法で、その手っ取り早い方法は、テストステロンの約95%をつくっている精巣(睾丸)をとってしまう手術である。

 近年、それと同程度の効果を示すLH─RHアゴニストが開発されて、前立腺がんの治療は進歩した。

 薬は、成分が徐々に放出される「徐放剤」なので1回の注射で約1カ月、効果が持続するということで、以来、毎月1度、通院し診療を受けることになった。

 この薬、おれには(おれにも)、じつによく効いた。

 あのつらい切迫尿意の症状がたちまち完全に消失し、241という驚異的数値だったPSA値が、検査のたびにストン、ストンと下がり、2001年1月には0・02を記録した。

 頻尿だけは依然として続いていたが、どこも痛くもかゆくもないし、失禁の心配など全然無用、友人たちの「元気そうじゃないか」に、「がんになったおかげだ」と応じるのが決まり文句の返事だった。

 しかし、がんは、やはりがんだ。

 そういつまでもおとなしくしていてはくれない。

 0.02まで下がったPSA値は、こんどは上昇に転じ、じりじりと上がり続けて04年3月には11に達した。

 ここで、H先生が行ったのが、それまでLH─RHアゴニストと併用してきた抗アンドロゲン(男性ホルモン)剤など3種類の内服薬を一切中止するという〝治療法〟で、それによって次の月のPSA値は一気に0.5に下がった。

「アンチアンドロゲン除去症候群」と呼ばれる、体のリアクション現象なのだそう。

 上がったり、下がったり、それからもPSAのシーソーゲームは続き、06年5月には再び2.7に上がり、いよいよ最終的ながんの本格攻勢を覚悟すべきかと思ったとき、先生の新しい提案は、放射線治療だった。

 前立腺の周囲には尿道、直腸、膀胱などが入り組んでいるため、放射線を一方向から照射する定位放射線治療は不向きだが、最近開発された強度変調照射法(IMRT)は、コンピューターを使い、複数の方向からの照射を組み合わせて、放射線を凹凸状に照射するもので、前立腺がんの治療にすぐれた効果を上げているとのことだった。

 そして06年6月から8月まで毎週月~金の8週間(40回)通院して受けた、放射線治療によって、PSA値は0.008未満と限りなくゼロに近づき、これでもう一件落着だなと喜んでいた。

 ところが、一難去ってまた一難、08年11月の尿検査で潜血反応がみられ、詳しい検査の結果、左の尿管にがんが見つかった。

「前立腺がんの転移ですか?」

「いいえ、原発がんです」とのことで、同年12月、H先生の執刀により、がんが発生した左の尿管と腎臓を摘出し、膀胱の一部を切除する手術が行われた。

 ──と、以上のような経過をたどって、2012年10月現在、PSA値はまた上がって14・3、ときたま尿管がんの手術跡が鈍く痛んだりはするが、まずまず元気で、毎日小1時間のウォーキング(後ろ歩き500㍍つき)で汗をかき、妻と缶ビールを半分ずつ飲んだりしている。

 ただ一つ、難儀なことは、毎晩ほとんど2時間おきにトイレに起きなければならないことだ。

 おまけに尿線が細く、ちょいちょい途切れるので、ひどく時間がかかる。

 だが、かんがえてみると、たとえ細々とでも出てくれるから生きていられるので、これが出なくなったら、命にかかわるだろう。

 一つだけ残った腎臓は、がんばって尿をつくり、出口の狭まった膀胱が、けんめいに収縮し排出してくれている。

 そうおもうと、なにかありがたい気持ちになる。

 むかし、田舎の家の炉ばたの茶飲み話に、だれかが、

「あそこの家のばあちゃん、歩きながらおしっこ、ぽたぽた...」と笑ったら、祖母が、

「おしものことを笑うちゃいかん」とたしなめたことを思い出す。

 あの祖母だったら、いまのおれに、こう言ってくれるのではないだろうか。

「おしもを大切にしなさいよ。おしもは、いのちなんよ」

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